YSMSの「のなめ」への決意

 ブログのタイトルを「のなめ」としましたが、ローマ字にしてもらうと何のことかわかってもらえると思います。これは無駄な自意識を削れたらなと、願いを込めました。僕は、絵の世界で生きて行こうとしていましたが、自分の存在自体と人生の意義をはっきりと確認することに執着を燃やしていたからかもしれません。そして絵は「僕は生きている」という自分の存在証明であったのかもしれません。しかし、極端な話、自分が生きていると確認できれば、証としてのカタチは別に絵でなくてもよかったのかもしれません。だから、体を悪くしてしまったら、絵への執着はあっさり消え、恋愛に依存してしまってたのでしょう。・・・僕は、「生きていると実感できるかもしれない事をしたい欲求」に、流されてきただけなのかもしれません。しかし、生きていると実感するとは、どういうことでしょうか?・・・真っ先に五感が動かされる事や、感動する事だと思いました。例えば音楽、美術、お笑い、読書、スポーツ、飲食、恋愛などなどあるかもしれません。しかし、これは狭い見方での考え方であって、全てではありません。平々凡々に生きる事が生きているという事でもある、という事に気が付いて無いからです。何も特別な事をする事が生きていることではなく、達成する事だけが喜びではない、と気づかなかったのです。なぜ、そのような事が起こるかと言うと、日常の小さな喜びに気が付いて無かったからではないでしょうか。NoNameである、そんな、大した事無い名前の人間ですが、平凡な日常と小さな喜びに、気が付くようでありながら、生きてきたいと思います。
 
 本日の動向。
グッスリ寝て、部屋を片付ける。部屋を片付けれないのは、人格に客観的な部分が欠けている事の現われかもしれません。また、床の上にものが常に乗っている人は、脳にも作業スペースとなる余裕が無い、とそういう風にも思えてしまいました。飲●運転で、友人のライブへ行きました。暴走族の車両に囲まれて、凄い怖かったですが、彼らもまた、自らの存在証明を探して、爆音を出しているのかもしれません。ていうか、通行人の女子●生のスカートが短いのは万歳なのですが、最近、スパッツみたいなのとか、体操服みたいなのを下にはくオンナノコが多すぎますヽ(`Д´)ノ。僕の存在証明であるところの、日常の小さな喜びを奪わないで下さい!!(笑;小さな喜びが存在証明だとか言っている時点で、これは一つの決め付けであり、笑うところですw。)とまあ、そんな事を思った一日でした。あ、帰りがけ、また飲●運転だったのですが、同じ暴走車両に出くわしました。福岡も狭いなあ。



いや〜んなお風呂の出来上がり♪バスパレット

また、貼ってみる。欲しいな。