YSMSの実は仕事最近サボってます。

DTPの仕事、最近ちっとも仕事していません。雑誌を作る事になってて、製作中だったのに、その話は消えたぽいですね。というより、「表現するという事はどういうことか?」と考え出したら、「これまで考えてたことと全然違う!」って思い、、正直、現在は作れなくなりました。「ショボい物を作りたくはない、料金に見合った事をしなくちゃ」とは思いつつも、いつも欲張りすぎてます。じゃあ、なぜ、自分で追い詰めるのかな?結局、「自分が!自分が!」って、自分を守りすぎているから、、、かも知れません。良く見せたいだとか、嫌われたくないだとかで、自分が一杯一杯になることに何の意味があるのでしょうな?

・・・広告とは内面を見詰める作業でした。 いつかは見詰めなくてはいけない内面を、ネガティブではなく、 むしろ明るく考える事が出来て、とても自分はツいています。 そして、今は表現する事のあり方が、ガラっと変わってしまいました。 「巧く書くんじゃなくて、見て、見て、見抜いて、自分が何を言いたいのか、自分に訊ねて発表する」 こういうことじゃないでしょうか?

・・・この事に気づかなかったのは、僕は、本当に長い間「絶対的な価値基準」の存在を妄信していたからかもしれません。しかしそれは見方が狭いだけの話で、 実際には物事に絶対の基準は存在せず、曖昧で不条理な基準が、 流動的に存在するだけだという事であり、柔軟に思いを達成するには、物事の見方を広め、 客観的に眺める事だけかもしれません。 うまく書こうとすると、客観性は無くなり、絵を書き割り、感動を失うのかもしれませんね。 これは日常生活でも同じ事のようです。 ・・・バイトを探したり、イヤな予感がしてたのですが、、、考え方を柔軟に変化させなくちゃいけませんね。。。鬱々とした気持ちはなく、寧ろ心は非常に晴れやかです。作業を孤独だとも思いません。もしかして、、、もしかして、、、な事が起こりつつあります。まだなんともいえませんが。。